あなたの専門はなんですか?スポーツ経営学です!

日々の学び、疑問をつれづれなるままにつづります。

14_部活動の引退について考える

先週はジャンプがお休みのため

ブログもお休みしてました。

 

そのお休みの間に

お友達がブログを開設しました。

utyuu-syounen.hatenablog.com

なんとテーマは「宇宙」でございます。

 

人間誰しも一度は

宇宙ってなんだろう

この世ってなんだろう

なんで僕らは生きてるんだろう

って考えますよね

 

そんな宇宙の神秘を

たぶんそれなりにわかりやすく

語ってくれるはずなので

覗いてみてください

望遠鏡を覗くかのごとく。

キマった

 

     以下、本文。

 

さて

僕は相も変わらず

スポーツのことを考えていきたいと思います。

 

先日、レスリングの吉田沙保里選手が

現役引退を発表しましたねー。

まじお疲れ様でしたって感じです。

 

他にもサッカーの

川口能活選手

楢崎正剛選手

中澤佑二選手

などなど

ちっちゃい頃に僕が憧れた選手が

次々と現役引退を表明しました。

みなさんお疲れ様でしたですね。

 

そんな

スポーツライフの大きな転換点

である「引退」は

先述したプロの世界のみならず

アマの世界にも存在します。

 

そうですね。

みなさんも多くが経験したであろう

「部活動の引退」です。

 

今日は「部活動の引退」について

この流れ

で考えたいと思います。

 

引退とは

やばいすでに引退のゲシュタルトが崩壊してる

 引退

役職や地位から身を退くこと。スポーツなどで現役から退くこと。(デジタル大辞泉より)

だそうです。

僕がいう「部活動の引退」とは

例えばある大会を節目にして

その大会が終われば

部の活動に参加しなくなる現象

のことを指します。 

 

なぜ引退するのか

なぜ引退するのか。

経験的に、もっとも大きな理由は

受験勉強に専念するため

かな、と思います。

 

それ以外に理由ありますか?

 

もしかすると

引退するのが当たり前になっていて

いわば「部活動文化」の一つ

なのかもしれません。

つまり、引退するのが当たり前だから。

というやつです。

 

(ここでの文化は以前の記事 

humanitynaoki.hatenablog.com

 でいう前者

「様々な精神的活動を生み出す基盤となるような生活様式全般」

を指します)

 

 

校則にありましたか?

いついつに引退しなさいみたいな記述。

おそらくないでしょう。

 

でも

引退があった方が「青春感」は出ますよね。

最後の大会だから、頑張る!

負けたら引退だから負けない!

まだまだサッカーしてたい!みたいな。

 

いや、最後じゃなくても頑張れよ

したいなら引退せずにしたらええやん

って感じですけど。

 

とにかくこの

「部活動の引退」は

なにゆえに存在しているのか

考えてみると結構謎です。

 

なにが問題なのか

「部活動の引退」のなにが問題であると

僕は思うのか。

 

別に「青春感」とかどうでもよくて

「スポーツしてたい」という思いを抑圧して

スポーツできない状態を強制してること

が問題であると思っています。

 

なぜそれが問題なのか。

人はスポーツ権を有しているから

です。

Every individual shall have the right to participate in sport(欧州みんなのスポーツ憲章、1975より)

 

すなわち

「部活動の引退」は

生徒のスポーツ権を侵害している

という風に考えるのです。

 

引退させているのは誰か

権利侵害が問題である

としましたが

それ以上に問題なのは

権利侵害の主体が誰だかわからない

ということです。

 

学校が強制しているわけでもなく

教員が強制しているわけでもない。

部活動文化によるものなのなら

誰がその文化を醸成しているのか。

もしかすると生徒自身?

 

とにかく「部活動の引退」は不要だと。

最後の大会が終わっても

スポーツしたらええやん!って思います。

下級生に老害扱いされるのは覚悟の上で。

いや、引退がなければ

老害扱いはされないはず。

 

みなさんはどう思いますか。

 

13_ブログ初め

あけまして

おめでとうございます。

本年も本ブログを

どうぞよろしくお願い致します。

 

2019年一発目のブログではございますが

内容としては2018年を振り返るようなものに

なっております。

というのも、12月31日(月)に

更新しようと思っていた内容が

諸事情※1 により更新できなかったからです。

更新しなかったという方が適切か

 

※1 ジャンプが休刊だったから

 

前回記事のコメント〜おくだの意見を添えて〜

 

前回記事では

Facebook上でのコメントのやりとりを

楽しませて頂きました。

ありがとうございます。

自分の発信した情報に

興味を持ってくれる方がいることは

喜ばしい限りです。

ブログ、FacebooktwitterInstagram

形式を問わずコメントお待ちしております。

 

    以下、本文。

 

さて、冒頭の通り

新年明けたにもかかわらず

今回は2018年

スポーツに関わる(主に世間を賑わせた)出来事をピックアップしまとめていきたいと思います。

 

2018/01

・カヌー選手がライバル選手の飲料に

 禁止薬物を混入しドーピング失格を画策

 

2018/02

・F1のレースクイーンが廃止

  (個人的にはこれが一番衝撃

 

設楽悠太選手が男子フルマラソン

 日本・アジア記録を16年ぶりに更新し

 日本実業団陸上競技連合から

 報奨金として1億円を支給される

 (高岡さんの記録がああ

 

日本eスポーツ連合の認可により

 日本初のプロゲーマーが誕生

 

・平昌五輪が開幕

 韓国と北朝鮮がいくつかの競技で

 合同チーム「コリア」として出場

 

・平昌五輪で冬季五輪史上最多のメダルを獲得

 

2018/03

レスリング栄元監督によるパワハラ報道

 

神宮球場で行われた野球大会の

 始球式で稲村亜美さんが中学生球児たちに

 群がられる

 

2018/04

・「日本体育協会」が

 「日本スポーツ協会」へ名称変更

 

京都府舞鶴市での大相撲春巡業の際

 倒れた市長の救命措置のため

 土俵に上がった女性に対し行事が

 「下りてください」のアナウンス

 

日本サッカー協会

 ハリルホジッチ監督を電撃解任

 西野朗技術委員長が後任に

 

2018/05

・日大アメフト部悪質タックル問題

 および当該選手が記者会見を敢行

 

・登山家の栗城史多氏が

 エベレスト登頂中に死亡

 

・J1神戸がイニエスタ選手の加入を発表

 twitterイニエスタbotアカウントが

 居心地悪そうにふざけるようになる

 

2018/06

・僕24歳になりました

 

・ 4本のスポーツ関連法の成立

 2020東京五輪に合わせて休日の移動が決定

 2020年に「体育の日」が

 「スポーツの日」へ名称変更

 

延岡学園バスケ部の留学生選手が審判を殴打

 

サッカー日本代表

 W杯での活躍により

 大迫ハンパねえフィーバー

 

サッカー日本代表

 W杯vsポーランドのパス回しが物議を醸す

 

2018/07

サッカー日本代表

 ロシアW杯でベルギー代表に惜敗

 

・五輪連覇の羽生結弦選手が国民栄誉賞受賞

 

・東京オリパラマスコットの名前が

 「ミライトワ」「ソメイティ」に決定

 

・J1鳥栖F・トーレス選手の加入を発表し

 「誤報じゃないよ、ほんトーレス

 とかいうタオルを作ったりして

 トーレスがスベったみたいな 

 空気を見事に作り出す

 

・「日本ボクシングを再興する会」が

 「日本ボクシング連盟」の不正を告発

 

2018/08

日本ボクシング連盟の山根前会長による

 不当判定、過剰接待問題  

 俗にいう「奈良判定

 

大阪桐蔭が史上初

 2度目の春夏連覇を達成したことよりも

 金足農業の快進撃の方が注目された甲子園

 

・日大応援部監督パワハラ報道

 

・世界バトミントン選手権で日本選手が大活躍

 男子シングルス桃田賢斗選手と

 女子ダブルス松本・永原ペアが金メダル

 女子ダブルスは史上初日本人ペア同士の決勝

 

2018/09

大坂なおみ選手が全米オープンで優勝

 にも関わらず表彰式でのブーイング

 そして涙のインタビューと謝罪

 

2018/10

・2月に樹立した設楽悠太選手の

 男子フルマラソン日本記録

 大迫傑選手が更新し報奨金1億円獲得

 日本実業団陸上競技連合

 1年で2億円を報奨金として支払うことに

 

・男子バスケ、渡邊雄太選手が

 日本人2人目となる

 NBAデビューを果たす

 

・プリンセス駅伝で岩谷産業の選手が

 四つん這いになりながら襷をリレー

 

・卓球のプロリーグ「Tリーグ」が開幕

 

2018/11

新語・流行語大賞

 スポーツ関連の言葉が多くノミネート 

 「そだねー」「もぐもぐタイム

 「(大迫)半端ないって」

 「金足農旋風」「翔タイム」

 「なおみ節」「奈良判定」「悪質タックル」

 「そだねー」が大賞受賞

 

大谷翔平選手がア・リーグの新人王に選出

 

2018/12

 ・北京五輪男子4×100mリレーの

 日本のメダルが銅から銀へ繰り上がる

 

よかったニュース

 2018年は各競技のアスリートが

世界で良い結果を残したな

という年でした。

 

冬季五輪に始まり、サッカーW杯

バドミントンやテニス

卓球、バスケ、野球など

日本人選手の頑張りは誇らしく思えます。

 

特に同い年の選手たちが

結果を残す姿は良い刺激になります。

羽生結弦大谷翔平渡邊雄太桃田賢斗

はみんな同い年です。笑

 

ただ、アスリートやったり

トップスポーツだけじゃなくて

もっといろんなスポーツのあり方を

報じてほしいなーとも思ったり。

 

じゃないとトップスポーツだけが

スポーツなんだという認識に

なってしまわないかな?なんて

思っているのでございます。

 

だからって他の良い例を

挙げることもできませんが。笑

 

よくないニュース

 ふりかえってみると

結構色々あったんやなー

って感じですね。

 

特に〇〇ハラスメントやら

暴力・不正といった

スポーツ界の闇が

白日の下に晒され始めてるのかな

という印象です。

 

まだまだ明らかになっていない問題も

多くあるでしょうし

報道されないものも含めると

ここに挙げたのは氷山の一角でしょう。

 

最近は下克上というか

なんでもハラスメントにしてしまえばOK

みたいな風潮ない?笑 と思っています。

 

もちろん今まで抑圧されてきた

地位的に「下」だった人たちが

反旗を翻して抗戦に出るのは

大事なことだと思いますし

社会的にそれが可能になってきているな

とは思います。

 

が、何かあったらすぐ〇〇ハラ〜

となるのは権利の濫用甚だしいのでは。

〇〇ハラの怖いとこは

受けた側の気持ち次第で

なんとでもなるというところです。

そんなつもりじゃなかったのに〜

では済まされなくなっています。

 

最近、指導者や教員の立場が弱くなった

というようなことを耳にします。

現場の指導者、教員の皆さん

そこんとこどうなんでしょうか。

コメント求む

 

2019年への期待と抱負

 2019年からは

メガスポーツイベントが

日本で開催され始めます。

 

多くの人々が今までより

いろんなスポーツのあり方に

興味を示し、行動を起こしてくれるように

僕自身も頑張ります。

 

あとシュールな笑いで

世界平和にちょっとでも貢献しますよってに。

 

P.S

ネット記事ばかりを参照したので

2019年はことあるごとに

メモっていこうと思います!!

 

【参考】

shabonyukuro.com

rocketnews24.com

 

 

 

 

12_体育嫌いと体育好き

東京駅のホームの売店

ジャンプが置いてありました。

 

つまり、ブログ更新の合図ですね。

まるで売店のおばちゃんに

ブログ更新しろよと

言われているかのようでした。

 

さて今回は

特に現役の体育の先生に

読んでほしい記事となっております。

 

 

例の人気コーナーは残念ながらお休みです。

おそらくコメントがなかった原因は

更新が遅れたにもかかわらず

よくわからない言い訳をして

悪びれもしなかったから

だと自己分析をしています。

 

それでは猛省しながら

書き進めていくこととしましょう。

 

体育の思い出

 まずはこの記事を読んでください。

blogos.com

 

読んでいただけましたでしょうか。

この記事に登場する筆者さんや

コメントをしている読者さんは

学校で行われる体育の授業に

全くといっていいほど

いい思い出がないみたいです。

 

皆さんはどうでしょうか。

自分が今まで受けてきた

体育の授業を思い出してみてください。

 

いや、思い出せるほど

体育の授業は印象に残っているのでしょうか。

僕は何個かあります

 

あるならば

それはどんな授業だったのか

ぜひ教えていただきたい。

 

体育の目標

さっきのリンクからもわかるように

 体育なんか必要ねえ

って思っている人は大勢存在するかと思います。

 

では体育は何のために

行われているのでしょうか。

学習指導要領を見てみましょう。

体育や保健の見方・考え方を働かせ,課題を発見し,合理的な解決に向けた学習過程を通して,心と体を一体として捉え,生涯にわたって心身の健康を保持増進し豊かなスポーツライフを実現するための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

(1 )各種の運動の特性に応じた技能等及び個人生活における健康・安全について理解するとともに,基本的な技能を身に付けるようにする。

(2 )運動や健康についての自他の課題を発見し,合理的な解決に向けて思考し判断するとともに,他者に伝える力を養う。

(3 )生涯にわたって運動に親しむとともに健康の保持増進と体力の向上を目指し,明るく豊かな生活を営む態度を養う。

文部科学省(2017)中学校学習指導要領解説(保健体育編)p.24 より

 

まとめると

生涯スポーツ実践者の育成

ということになるかと思います。

ただしこれは新学習指導要領の話。

 

我々が受けてきた体育は

前の学習指導要領を見る必要がありますね。

 

心と体を一体としてとらえ,運動や健康・安全についての理解と運動の合理的な実践を通して,生涯にわたって運動に親しむ資質や能力を育てるとともに健康の保持増進のための実践力の育成と体力の向上を図り,明るく豊かな生活を営む態度を育てる。

文部科学省(2008)中学校学習指導要領解説(保健体育編)p.14 より

 

これもまとめると

生涯スポーツ実践者の育成

でいいでしょうか笑

 

ちなみに

「生涯にわたって」という文言は

この2008年の指導要領から

入れられたということを考えると

よほど重要視されているキーワードなのでは

と推察できます。

 

体育の目標は

生涯スポーツ実践者の育成」

なのです!

 

体育嫌いと運動嫌い

 さて

体育が嫌いな人は

生涯にわたってスポーツをするでしょうか。

おそらくその確率はとても低いでしょう。

だから体育の授業では

体育嫌いの子どもを作らないように

努めなければなりません。

 

ってよく言いますが

体育は嫌いだけど運動は好き

という子どもって

意外といるんですよね。

 

体育はあくまでも授業ですから

体育を通して子どもに

運動やスポーツが好きだと思わせて

ほしいなーと外から思います。

 

 

体育嫌いと体育好き

先ほど、体育嫌いは

生涯にわたってスポーツをする確率が低い

と言いました。

 

では体育好きにしさえすれば

生涯にわたってスポーツをするのでしょうか。

確率は高くなるでしょう。

しかしそう簡単な話ではありません。

 

皆さん今スポーツしていますか?

スポーツをしたいと思っていますか?

 

いいえと答えた人の中で

スポーツが好きな人はどのくらいいますか?

 

おそらく結構な人数の方が

スポーツは好きだけどしていない

スポーツしたいけどしていない

という回答になるんじゃないかな

と思っています。

 

ぜひ体育教師の方々には

体育嫌い、体育好きにとどまらない

その議論の先にあるものを

現場の視点から見つけてほしいと思っています。

 

 

11_スポーツは文化なのか

前回記事のコメント〜おくだの意見を添えて〜

まぁ さんー

スポーツ文化、音楽文化、、、 なんか読んでたら、んー、まてよ、文化ってなんだっけ??って考え出したら止まらなくて、でも答え見つからなくて苦しい。

 

おくだの意見ー

コメントありがとうございます。僕もスポーツって文化なのか?と自問しながら書いています。今回の内容でそこに触れようと思いますので、ぜひご参照を。

 

SHIBATA さんー

毎回考えさせられます。 ふと思ったんだけど、身体文化(≒スポーツ)も音楽・芸術文化太古の昔から存在していたわけで。身体文化だけがいまだ音楽芸術に比べ多様性が認められていない、人間の生活に馴染んでいないのはなぜなのだろうか...。逆に言えば、スポーツで多様性を認めない文化がなぜ育っているのか。音楽みたいにスポーツもいろんな広がり方をしていってくれた良いなって思うよね。

 

おくだの意見ー

毎回コメントありがとうございます。

スポーツで多様性を認めない文化がなぜ育っているのか。難しいですね。

スポーツ畑にいる人間の感覚的なものかもしれませんが、スポーツには「競争」という要素が含まれているから、というのが一つの理由ではないかと思っています。競争の性質上、どうしても「弱」が排除され、「強」の意見が正しくなってしまうのではないでしょうか。だからといって「競争」という要素がなくなってしまえば、それはスポーツから遠ざかっていってしまうことになりかねません。うーん、むずかしや。

 

     以下、本文。

 

あれ、月曜やのに

ブログ更新してないやん!

と思ったそこのあなた

 

ありがとうございます。

それほど楽しみにして頂いて光栄です。

 

更新が遅れたのには理由がございます。

 

つくばには

「つくば時間」というものが

あるのをご存知でしょうか。

というのもつくばは

約2時間(諸説あり)、俗世より時の流れが遅い

と言われています(諸説あり)。

 

つまり私が更新している時間は

俗世では火曜日かもしれませんが

「つくば時間」だと

まだ月曜日という認識なのです(諸説あり)。

 

現在、俗世の時間で深夜3:30です。

 

 

さて

以前の記事

humanitynaoki.hatenablog.com

 を書いてから

ブログ見てるよーとのお声がけが

増加の一途をたどっています。

うれぴよ。

 

今回も非常に重いテーマとなっています。

僕の体重くらい重いテーマです。(174.5cm /60kg

 

それでは

「スポーツは文化なのか」

これについて考えていきましょう。

 

 

文化とは何か

いきなり引用どーん。

「文化」について学術的に取り組もうとする際には,往々にして最初にその定義の問題が検討される.そのときには必ずといってよいほど,その概念の曖昧さ,定義の多様性が問題にされるわけだが,とくにその論じ方の傾向として,2種類の「文化」の定義の仕方が強調されることが多い.すなわち,そのうちの一方は「文化」を「芸術」概念と同義か,それに近い,人類の高度な精神的所産としての作品(と現代的視点からはみなしうるもの),特別な創作意図をもって生み出されたものと捉えるやり方である.そして他方は,「文化」をさまざまな精神的活動を生み出す基盤となるような生活様式全般,あるいは精神的活動の所産といえども日常生活に密接に結びついて生み出されたものと捉えるやり方である.(友岡,2009)

つまり

・「文化」には2種類の定義のパターンがある

・「人類の高度な精神的所産としての作品」

・「様々な精神的活動を生み出す基盤となるような生活様式全般」

 

僕のいうスポーツ文化や音楽文化は

前者の定義に則っています。

 

後者は、例えば日本文化とか組織文化とかいうときに

用いられる定義です。

 

今回はこの前者の定義を採用して

 「スポーツは文化なのか」

について考えたいと思います。

スポーツは文化なのか

「人類の高度な精神的所産としての作品」

を分解して考えます。

 

人類の:スポーツは人間によって作られ

高度な:身体や道具を巧みに使ったり、複雑なルールに従ったり

精神的所産としての作品:それ自体は物理的に存在しない

 

このように考えると

スポーツは文化である

といっていいんじゃないかなーって感じです。

 

いや、甘々ですな。

また後日しっかり

この辺は触れたいと思います。

 

とにかく

スポーツは文化である

という言葉は政策文書なんかでもよく登場しますし

スポーツは、世界共通の人類の文化である。(スポーツ基本法,2011 前文より)

スポーツは「世界共通の人類の文化」であり,国民の成熟した文化としてスポ ーツを一層根付かせ豊かな未来を創ることが,スポーツ振興に携わる者の最大の 使命である。(第2期スポーツ基本計画,2017 p.3より)

スポーツは、自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である。(スポーツ宣言日本,2011)

 

それしか読んでいないと

前提視してしまって

ほんまにスポーツって文化なん?とか

何を根拠にスポーツって文化っていうてんの?

とかいう疑問に答えれなくなっちゃうのです。

 

だから問い直すのです。

 

 

疲れたのでまた今度。

 

10_音楽文化とスポーツ文化 リミックス

前回記事のコメント〜おくだの意見を添えて〜

 さんー

よかったら音楽に関わる組織経営と体育・スポーツに関わる組織経営の比較とかしてほしいです。根本的に似ているような気がするので

 

おくだの意見ー

コメントありがとうございます。

僕も同じようなことを思っています。

チャレンジしてみますね。

何か新しい発見があるかもしれません。

乞うご期待ください。

 

柴田 さんー

スポーツはIOCのもの スポーツはアスリートだけのもの スポーツは電通博報堂のもの …そんな感じがします。

 

おくだの意見ー

 コメントありがとうございます。

まさかそんな具体的な名前まで出てくるなんて。笑

僕は自分も含めて「みんなのもの」という感覚が

まだまだないんじゃないかなあと思います。

「自分だけのもの」にしようとしちゃってませんかね。

 

     以下、本文。

 

一つの記事になんと二つもコメントをいただきました。

飛び跳ねて喜んでましコメントもらったのがだいぶ前なので)。

 

待ちに待った月曜日ですね、みなさん。

お待たせしました。

 

今週号は

音楽文化とスポーツ文化 リミックス

と題して

 という内容でお送りしていきます。

 

タイトル気になる問題

 

ちなみにこのタイトルが気になった方は

どれくらいいるんでしょうか。

 

実は、タイトルの「Remix」という部分は

MCUMarvel Cinematic Universe)の

GUARDIANS OF THE GALAXY VOL.2」という作品の

日本版タイトル「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー リミックス

に完全に引っ張られた結果です。

 

marvel.disney.co.jp

 

いや、なんで

英語版は「VOL.2」やのに

日本版は「リミックス」やねん!

って思いません??

詳しい方、コメントください。

 

スポーツとの関わり方

さて、今回も音楽とスポーツを

比較していきたいと思います。

 

僕が最近気になっているのは、これ! 

スポーツへの関わり方としては,スポーツを「する」ことだけでなく「みる」「ささえる」ことも含まれる。

出典:スポーツ庁(2017)第2期スポーツ基本計画 p.3

これは、スポーツ庁が2017年に出した

「第2期スポーツ基本計画」の中の一幕です。

 

ここでは、スポーツとの関わり方は

「する」だけじゃなくて

色んなものがあるんだよー

ってことが書かれています。

 

確かにそうですね。

スポーツとは

色んな関わり方があると思いますし

体育・スポーツ経営学の教科書でも

スポーツには色んな関わり方があるよー

ってことを書いています。

 

基本的に

「する」スポーツ(プレイヤーとしてなど

「みる」スポーツ(観客としてなど

「ささえる」スポーツ(指導者としてなど

の3つに分けられています。基本計画の中でもそうですね。

 

とにかくここでは

スポーツには多様な関わり方があるんだぜベイベ

ってことがいわれてるんですね。

 

音楽との関わり方

ではでは、一方の音楽はどうでしょう。

まず、スポーツみたいに基本計画アルカナ

と思い調べてみましたがありまてん。(文化芸術推進基本計画はありましたが比較しにくいので取り上げません)。

 

じゃあじゃあ

音楽との関わり方を示すような文言アルカナ

と思い調べてみましたがありまてん。

 

よくよく考えてみたら

「うたう」音楽

「きく」音楽

「つくる」音楽

なんて、アホらしすぎて誰も言いませんよね。

 

それは「音楽」という言葉にすでに

「うたう」「きく」「つくる」その他諸々

のニュアンスが含まれていて

そんなのわざわざ文字に起こさなくても

みんな分かっているから

じゃないでしょうか。

 

音楽文化とスポーツ文化

つまり

スポーツは「する」「みる」「ささえる」なんてのを

スポーツ文化の多様性をアピールするために

これ見よがしに主張すればするほど

スポーツはそこまでして表現しないと

多様性が認められないような文化なんだよ

ってことを暗に示してしまっているのではないでしょうか。

 

音楽に関しては

そんなの何もアピールしなくても

多様な関わり方ができるし

それが許されていることを

みんなが知っているという

多様性が認められている文化

なんじゃないでしょうか。

 

みなさんどう思いますかーー。 

 

 

09_週刊少年ジャンプとおくだのブログ


前回記事のコメント〜おくだの意見を添えて〜

ーあ さんー

そもそもスポーツが存在していなければならない理由って何でしょう?そこが理解できないのでスポーツって手段でも良いよね?って思ってしまう自分がいます。

 

おくだの意見ー

コメントありがとうございます。

 

この一週間ほぼずっとこのことを考えてました。スポーツが存在していなければならない理由…。現状の結論としては、その理由はない、というところに行き着きました。ただ、突き詰めて考えればこの世に存在しなければならないもの自体、存在しないのではないでしょうか。という風に考えると、この世のあらゆる物事に対して、その存在の必要性を示すことは不可能であるといえます。よってスポーツが存在していなければならない究極的な理由はありません。

したがって、手段でも良いと思います。前回の僕の書きぶりだとスポーツの手段論=悪、のような印象を与えてしまうなあと、読み返して思いました。勉強不足and言葉足らずでした、すみません。

手段であることが悪なのではなく、手段的価値、つまり何かの役に立つものとしての価値(例えばスポーツってめっちゃ金稼げるやん)が広く認められ、その価値の追求に傾倒してしまうことによって、スポーツそのものの価値が蔑ろにされてしまうことが悪であるという立場に立っているという補足と言いますか弁明をしておきます。

もちろん、教育や健康の分野では、スポーツによって大きな恩恵を受けることができるでしょうし、実際、自分も含め、このブログを読んでくださっている皆さんも、それは経験として感じておられると思います。そういった手段的価値も含め、スポーツの価値を再認識し、人間が生み出したスポーツという文化をさらに発展させたいと思っています。

ただ、今回、理由はないという結論に至りましたが、スポーツが存在していなければならない理由を問い続けることはスポーツ界にいる人間の使命であると考えています。深く考えるきっかけを頂きありがとうございました。

 

 

      以下、本編。

 

クリティカルなコメントをいただき

自分自身、非常に考えさせられました。

もはやこのコーナーだけで

ブログ一回分になりそうな勢いです。

 

前説やってたらめっちゃウケて

そのまま番組レギュラーなったみたいな。

 

わかりやすっ

 

そんなこんなで

ブログを始めて一ヶ月くらい経ちました。

道ゆく見知らぬ人に、ブログ見てるよー

と声をかけられ

る日を夢見ていますが

まだまだ遠く及びません。

 

それでも

おそらく全国各地から

ブログ見てるよーとの

声をいただくこともあり

承認欲求まみれの僕にとっては

嬉しい限りです。

 

読んでるよーと

一言いただければ

僕がすごく喜ぶ

例えば、直接声かけられた場合、にやけながら首から上だけで会釈したり、SNSでコメントもらった場合、文字っつらでは澄まして「ありがとうございます!」とかゆうてるけど、画面の前では超にやけていたり

という

奇妙な現象が起きるので

ぜひ試してみてください。

 

 

さて、タイトルに惹かれた方は

どれくらいいるのでしょうか。

 

僕は毎週月曜日に発売される

週刊少年ジャンプの基本的にはワンピースだけ)を

楽しみに楽しみに生きているといっても

過言ではあります。過言ではありました。

 

この週一回決まった曜日に発売

っていうのは読者の欲を掻き立てるのに

ベストな手法かと思いまして

集英社には許可などとっておりませんが

勝手に真似させていただこうと思います。

 

毎週月曜日に更新

月曜が祝日の場合は土曜日、ジャンプが休刊の際は休み

という風なルールを設けます!

 

これで社会人の皆さんの月曜日の楽しみが一つ増えましたね

 

月曜といえばジャンプおくだのブログ

 

以後よろしくお願いします!

 

しまいには3日前くらいにネタバレとか出回るかもしれんなあ、対策考えとかな。

 

 

 

 

08_音楽文化とスポーツ文化

 

いきなりですが

みなさんに見て欲しい動画があります。 

 


豪華出演「音楽って誰のもの?」 レッドブルCM フル改

 

これを見たみなさんは

なにを考えましたか。

なにを感じましたか。

 

         

 

おはこんにちばんは。

いきなりYouTubeを引用するという

暴挙に出たおくだです。

 

 

今日は「スポーツ文化」について考えたいと思います。

というのも

以前の記事

humanitynaoki.hatenablog.com

 

で「体育・スポーツ経営学」の学問理念は

「スポーツ文化の創造的発展」である!

ということをお伝えしたからです。

 

 

 

さて

YouTube見ていただけましたでしょうか。

というか見ていただけてなければ

ここからの話はなんのこっちゃ

ってなりますよ。(警告

 

見ていただいた前提で

話をすすめていきますね。

 

ぼくがこのCMをみて感じたことは

「音楽文化って成熟してるなー」

でした。

 

挙げればキリがないですが

アーティスト達が

音楽の多様性を認め

音楽を芸術と認識し

音楽そのものに価値を

見出していることが

ひしひしと伝わってきました僕には。

 

 

 

 

ではでは、

スポーツはどうでしょう。

 

「スポーツって誰のもの?」

 

さて、みなさんならどう答えますか?

 

そして、現状どうなっていますか?

 

(今回は短めandコメントを期待して終わりますね)

 

 

07_スポーツの目的論と手段論

前回記事のコメント〜おくだの意見を添えて〜

いつもお世話になっております さんー

なんとなく事業という言葉を使っているがゆえに ビジネスの説明から脱却できていないような印象を受けます. 事業とは.. 仕事。社会的な大きな仕事。生産・営利を目的として経営する仕事。企業または実業。 とのことらしいんですが筆者さんのおっしゃる内容はこの意味に該当しませんよね? 詳しく知りたいです

 

おくだの意見ー

コメントありがとうございます。

経営学組織の学問と言われます。ですのでその組織、つまり経営体が何なのかによって、事業という言葉が指すものも変わってきます。経営体が企業であれば事業は営利を目的としたものになるでしょうし、NPOなどの非営利組織であれば事業は社会貢献を目的としたものになるかと思います。

体育・スポーツ経営学でも、体育・スポーツ経営体が何なのかによって事業の意味するところは変わってきます。例えば、経営体が民間フィットネスクラブであれば、営利を目的としたフィットネス事業を展開するでしょうし、経営体が学校であれば、教育を目的とした体育事業(体育授業や運動部活動)を実施するというように考えます。

確かに前回の説明だと体育・スポーツ経営学≠ビジネスというような書きぶりになってしまっていた気がします。説明不足ですみませんm(_ _)m

ただ、フィットネスなどの営利を目的とした体育・スポーツ経営については、現象としては理解しますが、それを積極的な研究対象とはしていません。というのも、根底にスポーツの目的、スポーツの手段論というのが存在しているからです。

これについては本編で触れますのでご参照ください。

 

      以下、本編。

 

誰がこのコーナー2連続で続くと思っていただろうか。(反語

 

貴重なコメント助かります。

自分の勉強不足、説明不足が白日のもとにさらされて(露呈する 類語 で検索

motivation up に lead to しています。

 

冒頭からちょけたところで

今回は07_スポーツの目的論と手段論について

共有していきたいと思います。

我々の考え方の根幹をなすものなので

ちょっとだけでもみなさんの目に触れることを願っております。

 

| スポーツの目的論

スポーツの目的論とは

文字通り

スポーツは目的的に行われるものだ

というものです。

 

つまりどういうことかというと

スポーツをしたいからスポーツをするということです。

 

Ex)

あー、なんかボール蹴りたいなー

サッカーしよ。

 

| スポーツの手段論

スポーツの手段論とは

文字通り

スポーツは手段的に行われるものだ

というものです。

 

つまりどういうことかというと

スポーツ以外の何かを得るためにスポーツをするということです。

 

Ex)

あー、なんか太ってきたなー

走ろ。

 

| スポーツの目的論と手段論

上記の違いがわかりましたでしょうか。

目的論では

スポーツを行う動機が

スポーツに対する欲求に基づいています。

 

一方、手段論では

スポーツを行う動機が

減量や体型維持に対する欲求に基づいています。

 

 

我々、体育・スポーツ経営学を専門とする者は

基本的に前者、スポーツの目的論の立場に立っています。

この考え方は筑波っぽいとよく言われますが) 

 つまり、スポーツは目的的に親しむものであって

何かの手段ではない、という立場です。

 

| なぜこの立場に立つのか

1.スポーツは文化であると認識しているから

 

ここでいう文化とは

それ自体に価値があるもの

必要から生まれたものではないもの

のことを指します。

 

ですので

スポーツが文化である限り

スポーツはそれ自体に価値があり、

何かの必要に迫られて行うものではない

という風に考えます。

 

 

2.スポーツを手段的に用いることはスポーツ文化を滅ぼしかねないから

やばい、過激な発言

これには大きく分けて二つの要因があると考えています。

 

まず一つ。

例えば

「健康のために運動・スポーツをしましょう」

なんていうことはよく耳にすると思います。

 

これを受けて

「よし、スポーツしよう」

って思う人も多いかと思います。

確かに、運動やスポーツが心身の健康に及ぼす

好影響は様々な研究分野で明らかにされています。

 

ですが、どうでしょう。

運動やスポーツなんてしなくても

健康が維持されるような薬が開発されたら。

 

健康のためにスポーツをしていた人は

あっという間に

スポーツから離れていくかもしれません。 

 

つまり、手段は

それ(スポーツ)より有能で効率的なもの(すごい薬)が出てくれば 

 淘汰されていく可能性があるのです。

 

 だからこそ

 スポーツ文化の創造的発展を学問理念に据える我々は

スポーツの手段論に対して批判的な立場に立つのです。

 

       

 

もう一つ。

例えば

「スポーツ産業の市場規模を大きくしよう」

というのは

お金儲け(目的)のために

スポーツ(手段)を有効活用しよう

という考え方の典型例です。

 

 これが進行するとどうなると考えられるか。

おそらく

お金を儲けやすいスポーツだけが

スポーツとして認識され

スポーツ文化の多様性が失われ

衰退していくでしょう。

 

だからこそ

 スポーツ文化の創造的発展を学問理念に据える我々は

スポーツの手段論に対して批判的な立場に立つのです。

 

       

 

長々とすみません。

いや、ここまで読んでくれてる人は割と関心を持って読んでくれてるはずやからむしろありがとうございますといったほうがいい気がする。長々とありがとうございます。

我々の根幹をなす考え方であることは

冒頭でも触れたとおりです。

 

今一度、自分の周りのスポーツ現象を

スポーツの目的論、手段論の観点から見てもらえれば本望です。

 

あと、この考え方をみなさんはどう捉えるのか

個人的にとても楽しみです。

ぜひコメントしてくださいな。