あなたの専門はなんですか?スポーツ経営学です!

日々の学び、疑問をつれづれなるままにつづります。

07_スポーツの目的論と手段論

前回記事のコメント〜おくだの意見を添えて〜

いつもお世話になっております さんー

なんとなく事業という言葉を使っているがゆえに ビジネスの説明から脱却できていないような印象を受けます. 事業とは.. 仕事。社会的な大きな仕事。生産・営利を目的として経営する仕事。企業または実業。 とのことらしいんですが筆者さんのおっしゃる内容はこの意味に該当しませんよね? 詳しく知りたいです

 

おくだの意見ー

コメントありがとうございます。

経営学組織の学問と言われます。ですのでその組織、つまり経営体が何なのかによって、事業という言葉が指すものも変わってきます。経営体が企業であれば事業は営利を目的としたものになるでしょうし、NPOなどの非営利組織であれば事業は社会貢献を目的としたものになるかと思います。

体育・スポーツ経営学でも、体育・スポーツ経営体が何なのかによって事業の意味するところは変わってきます。例えば、経営体が民間フィットネスクラブであれば、営利を目的としたフィットネス事業を展開するでしょうし、経営体が学校であれば、教育を目的とした体育事業(体育授業や運動部活動)を実施するというように考えます。

確かに前回の説明だと体育・スポーツ経営学≠ビジネスというような書きぶりになってしまっていた気がします。説明不足ですみませんm(_ _)m

ただ、フィットネスなどの営利を目的とした体育・スポーツ経営については、現象としては理解しますが、それを積極的な研究対象とはしていません。というのも、根底にスポーツの目的、スポーツの手段論というのが存在しているからです。

これについては本編で触れますのでご参照ください。

 

      以下、本編。

 

誰がこのコーナー2連続で続くと思っていただろうか。(反語

 

貴重なコメント助かります。

自分の勉強不足、説明不足が白日のもとにさらされて(露呈する 類語 で検索

motivation up に lead to しています。

 

冒頭からちょけたところで

今回は07_スポーツの目的論と手段論について

共有していきたいと思います。

我々の考え方の根幹をなすものなので

ちょっとだけでもみなさんの目に触れることを願っております。

 

| スポーツの目的論

スポーツの目的論とは

文字通り

スポーツは目的的に行われるものだ

というものです。

 

つまりどういうことかというと

スポーツをしたいからスポーツをするということです。

 

Ex)

あー、なんかボール蹴りたいなー

サッカーしよ。

 

| スポーツの手段論

スポーツの手段論とは

文字通り

スポーツは手段的に行われるものだ

というものです。

 

つまりどういうことかというと

スポーツ以外の何かを得るためにスポーツをするということです。

 

Ex)

あー、なんか太ってきたなー

走ろ。

 

| スポーツの目的論と手段論

上記の違いがわかりましたでしょうか。

目的論では

スポーツを行う動機が

スポーツに対する欲求に基づいています。

 

一方、手段論では

スポーツを行う動機が

減量や体型維持に対する欲求に基づいています。

 

 

我々、体育・スポーツ経営学を専門とする者は

基本的に前者、スポーツの目的論の立場に立っています。

この考え方は筑波っぽいとよく言われますが) 

 つまり、スポーツは目的的に親しむものであって

何かの手段ではない、という立場です。

 

| なぜこの立場に立つのか

1.スポーツは文化であると認識しているから

 

ここでいう文化とは

それ自体に価値があるもの

必要から生まれたものではないもの

のことを指します。

 

ですので

スポーツが文化である限り

スポーツはそれ自体に価値があり、

何かの必要に迫られて行うものではない

という風に考えます。

 

 

2.スポーツを手段的に用いることはスポーツ文化を滅ぼしかねないから

やばい、過激な発言

これには大きく分けて二つの要因があると考えています。

 

まず一つ。

例えば

「健康のために運動・スポーツをしましょう」

なんていうことはよく耳にすると思います。

 

これを受けて

「よし、スポーツしよう」

って思う人も多いかと思います。

確かに、運動やスポーツが心身の健康に及ぼす

好影響は様々な研究分野で明らかにされています。

 

ですが、どうでしょう。

運動やスポーツなんてしなくても

健康が維持されるような薬が開発されたら。

 

健康のためにスポーツをしていた人は

あっという間に

スポーツから離れていくかもしれません。 

 

つまり、手段は

それ(スポーツ)より有能で効率的なもの(すごい薬)が出てくれば 

 淘汰されていく可能性があるのです。

 

 だからこそ

 スポーツ文化の創造的発展を学問理念に据える我々は

スポーツの手段論に対して批判的な立場に立つのです。

 

       

 

もう一つ。

例えば

「スポーツ産業の市場規模を大きくしよう」

というのは

お金儲け(目的)のために

スポーツ(手段)を有効活用しよう

という考え方の典型例です。

 

 これが進行するとどうなると考えられるか。

おそらく

お金を儲けやすいスポーツだけが

スポーツとして認識され

スポーツ文化の多様性が失われ

衰退していくでしょう。

 

だからこそ

 スポーツ文化の創造的発展を学問理念に据える我々は

スポーツの手段論に対して批判的な立場に立つのです。

 

       

 

長々とすみません。

いや、ここまで読んでくれてる人は割と関心を持って読んでくれてるはずやからむしろありがとうございますといったほうがいい気がする。長々とありがとうございます。

我々の根幹をなす考え方であることは

冒頭でも触れたとおりです。

 

今一度、自分の周りのスポーツ現象を

スポーツの目的論、手段論の観点から見てもらえれば本望です。

 

あと、この考え方をみなさんはどう捉えるのか

個人的にとても楽しみです。

ぜひコメントしてくださいな。